人生のやり直し

POST026 人生のやり直し

人生のやり直し:人が生きると書いて、人生と読む。生きていればそれはまるっと人生、死んだあとのことはその時が来ないとわからないのが定め。

人生のやり直しは、現実問題としてかなり難しい部類の悩みである。何故なら人生を修復するということは、それまでの生き方を修復するということになり、それはすなわち 自分自身を変えなければいけないということになるからだ。

POST026 人生のやり直し
人生など何度だってやり直しはきく。

人生を振り返るとき、どうしたって僕らはあの日のことを思い出す。はじめて友達ができた日のこと、はじめて自転車に乗れた日のこと。はじめて親に褒められた日のこと。はじめて小学校に通った日のこと。はじめて学校で喧嘩した日のこと。はじめてのげんこつ。はじめての遠足。はじめてのマラソン。はじめての部活。はじめて人を好きになった日のこと・・・。

いろんなはじめてを思い出して、そしてまた新しいはじめてを繰り返していく。だから人生は何度でもやり直せるし、何度だって繰り返すこともできる。

最悪な日は、心が折れないように・・・

どういったことが最悪なのかは、人によりさまざまだろう。お金を落とした、友人に騙された、好きな人に嫌われた、恋人と別れた。

そうした日は心折れぬように、みんな何かで必死に堪えようとしている。

強がってみたり、意地を張ってみたり、大声で叫んだり、歌を歌ったり。誰かのせいにして自分の責任じゃないと言ってみる人もいる。

心が折れると、しばらくの間その人の中で、時が停まる。本人にとってはほんの束の間のことだ。

停まった時の中で思考もほとんど止まっているから、それ以上は傷つかなくて済む。今はまだ堪えきれないから、もう少し、あと少し、とうずくまって下を向く。

そうしている間にその人以外のところは、いつもと変わらないように時はてんでバラバラに進んでいく。ものすごい勢いで新技術を開発しているどこぞの研究所も、同じくらいの勢いで新しいメニューを考えて作るどこぞのシェフも、少し遅めにゆっくりと新しい作品を生み出そうとしている作家さんや漫画家さんも、両親も兄弟姉妹も、みんな時は停まらないでずんずん進んで変化していく。

逸る気持ちにブレーキを

焦る必要はたぶんない。焦って立ち直れるならそれも一つの手だけど、焦りすぎて自棄になって前よりももっと辛い思いをすることになるくらいなら、停まった時に中にいる方がいい。

そこからときどき顔を覗かせて、当たりの変わりように焦りが感じられるなら、その頃にはもう時間が悲しみを洗い流していて、一番辛く感じるところは昔へと置いてきぼりにできているはず。

少しは痛みも残るかもだけど、そろそろ自分の時をまた進めていこう。人生の再開。また日々を繰り返し自分の行く先を思い描く時だ。

今目の前に存在しないものを数えない。あるものだけで自分の人生。

足りないものなら手に入れるすべを探すのもいいだろうけど、前に無くしたものを得たいなんて思うのは駄目だ。古傷に障る。

あともう少しの間だけ、失せたものは棚に上げて目の前にあるものだけに集中。

人生のやり直し


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